募金箱にご協力を 2011 年 3 月 13 日日曜日 3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震において甚大な被害が出ております。 ぼくも仙台市若林区に住んでいる知り合いと安否の確認がとれません・・・ この大変な事態に何もできない自分に無力感を感じておりますが、とりあえず近江町市場青年部が設置した募金箱に募金しました。 スーさん・・・・。無事を祈っております。 @あるじ
オレの母方の友人の親戚が、仙台市太白区に住んでおりまして 本人とのコンタクトはできていませんが ミクシィのコミュニティ「東北関東大震災地震コミュ案内板」内のトピックスで 「仙台市 太白区」を見ていたら、該当住所の地域では直接的な被害(建物損壊、津波含む)が ほとんど無いことが分かりました。電気もあり、ガスも徐々に復旧しているようですが 電話はダメなようです。 スガワラさんの携帯番号しか分からないので、電話伝言版で何度か見ていますが確認できてません
本人でございます。 ご心配いただき心より感謝 申し上げます。 私自身より長男があの荒浜で勤めて いて津波の直撃をうけ間一髪で 警視庁救難ヘリでキャッチされ無事 帰宅できました。彼は養護老人施設で 介護の仕事をしており入所者の介護のため 帰宅して10分後には着替えして「じゃあな」と 移送先の施設に去っていきました。 カッコいいやつです。 とーちゃんはというと今日、自社工場のある南三陸町の 非難場所に救援物資を届けにいってきました。 街は消えました。 工場のある場所からは見えるはずのない海が 遮る物はなにもない状態で、何もなかったような 静かな凪が見えました。 この街は50数年前にチリ地震大津波を経験し 徹底した防災訓練を実施していました。 なのに。過去の経験が災害のレベルを固定して しまったのでしょうか。 現実は想定をはるかに超えすべてを飲み込み 粉砕し奪い去りました。 たまたまこの街だけを見たのですが三陸沿岸の 街はほとんどおなじ状況です。 勤務を終え帰宅した長男と電気のない家で 懐中電灯の明かりの中で「生きる」ことの 偶然と責任のようなことを話した記憶が あります。不謹慎でしたが「生きている」 ことに酔いどれました。 我が家の生活はほどなく通常に戻るでしょう。 罹災してわかった一番の問題は車の燃料でした。 ガソリンは常に満タンにしておくことを お勧めします。 停電の際の充電・暖房・物資調達・非難。 テレビの向こう側のことじゃないんですよね。 金沢でお世話になった皆様に何のお礼のできずに 重ねてご心配をおかけしてお詫び申し上げます。
スーさんなら大丈夫!
落ち着いたらココにコメントしてくれるでしょう!
>香りん君
そう信じております。
オレの母方の友人の親戚が、仙台市太白区に住んでおりまして
本人とのコンタクトはできていませんが
ミクシィのコミュニティ「東北関東大震災地震コミュ案内板」内のトピックスで
「仙台市 太白区」を見ていたら、該当住所の地域では直接的な被害(建物損壊、津波含む)が
ほとんど無いことが分かりました。電気もあり、ガスも徐々に復旧しているようですが
電話はダメなようです。
スガワラさんの携帯番号しか分からないので、電話伝言版で何度か見ていますが確認できてません
>ケンケン
ぼくも安否確認グーグル版ってやつで名前を入れてみました。
他にもスガワラさんのこと探してらっしゃる方からの情報がありましたがまだ安否に関しては情報がありません・・・
たった今、菅原さんところに直電しました。
息子さんとお酒飲んでいらっしゃる所で…。
取りあえずは大丈夫でした。津波の直撃と紙一重だった様で…。
>越前くらげ
あぁよかった!
よかった、よかった、
あ〜よかった。
気になっとってんけど、怖くてコメントできんかった。
よかった。よかった。
おおーーーーーーーーー!!良かった良かった!
本当によかった。
電源状況が分からなかったんで、電話はしてなかったけど結果オーライ
越前くらげ△ GJ!
>ぐっさん・香りん君・ちかちゃん・ケンケン
ほんとよかったね!
今スーさん本人と携帯がつながりました!
ビバ、スーさん!
本人でございます。
ご心配いただき心より感謝
申し上げます。
私自身より長男があの荒浜で勤めて
いて津波の直撃をうけ間一髪で
警視庁救難ヘリでキャッチされ無事
帰宅できました。彼は養護老人施設で
介護の仕事をしており入所者の介護のため
帰宅して10分後には着替えして「じゃあな」と
移送先の施設に去っていきました。
カッコいいやつです。
とーちゃんはというと今日、自社工場のある南三陸町の
非難場所に救援物資を届けにいってきました。
街は消えました。
工場のある場所からは見えるはずのない海が
遮る物はなにもない状態で、何もなかったような
静かな凪が見えました。
この街は50数年前にチリ地震大津波を経験し
徹底した防災訓練を実施していました。
なのに。過去の経験が災害のレベルを固定して
しまったのでしょうか。
現実は想定をはるかに超えすべてを飲み込み
粉砕し奪い去りました。
たまたまこの街だけを見たのですが三陸沿岸の
街はほとんどおなじ状況です。
勤務を終え帰宅した長男と電気のない家で
懐中電灯の明かりの中で「生きる」ことの
偶然と責任のようなことを話した記憶が
あります。不謹慎でしたが「生きている」
ことに酔いどれました。
我が家の生活はほどなく通常に戻るでしょう。
罹災してわかった一番の問題は車の燃料でした。
ガソリンは常に満タンにしておくことを
お勧めします。
停電の際の充電・暖房・物資調達・非難。
テレビの向こう側のことじゃないんですよね。
金沢でお世話になった皆様に何のお礼のできずに
重ねてご心配をおかけしてお詫び申し上げます。
>SUGAさん
コメントありがとうございます。
そして何よりご無事でホッとしました。
今はまだ宅急便がそちらへの荷受を中止してますが再開したら何か送りますね。
何か必要な物があったら言って下さい。